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ウエルナー 症候群 患者・家族の会


Werner syndrome  patient/family group  inJapan


“新着情報”“サポート~靴情報”“リンク”更新いたしました。
潰瘍関連治験参加募集のご案内と千葉市の靴屋さんの情報提供2件を掲載しました。

(2017.1.3)


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~ウェルナー症候群の治療研究の推進への思い~


皆さんこんにちは、井上と申します。本日は貴重な発言の機会を与えていただき、ありがとうございます。私は、今日ここに、こうしてお集まりの皆様とは、おそらく別の時間を生きています。“ウェルナー症候群”と言いう病気を皆さんはご存知でしょうか? ウェルナー症候群は、老化が異常な速度で進行してゆく“早老症”と呼ばれる疾患の一つです。 人生を列車にたとえると、私が乗っている列車は、確実に皆さんの乗っている列車よりも早く、最終目的地に到着してしまいます。

 この列車の窓から、どんな風景が見えるのか、また、これまでどんな風景を見てきたのか、その全てを 本日、与えていただいた、この時間の中だけで、お話しすることは出来ません。けれども、何をおいても、まず私が言いたいことは、一つです。「何とかこの列車を止めて欲しい。」

 この国の何処にでもいる、普通の人達と同じように、私もかつては、車窓の風景を味わいつつ、じっくり自分の人生を歩んでゆきたいと思っていました。しかしながら、それは、この病の発症とともに、極めて困難なことになってしまいました。でも生きている以上、決してあきらめることなど出来ません。たとえ僅かな希望でも、可能性が少しでもあれば、どんな治療にも臨んでゆきたいです。

 難病と呼ばれる疾患は五千、七千とも言われています。そのような難病の患者さんであれば、誰でもその思いは、同じだと思います。

今も私の乗っている列車は、速度を上げて走り続けています。

決して、この列車から降りることは出来ません。


ウェルナー症候群は、遺伝疾患で、染色体8番目の異常により、概ね二十歳を過ぎてから発症し、通常の2倍のスピードで老化が進行してゆく、後発性の早老症です。治療法はありません。世界の総患者数の約8割が日本人で占められており、まさにニッポニアシンドロームとも呼べるほど、日本人に多い疾患です。しかし全体の患者数は少なく、希少疾患に分類されることから、社会では、まだ、あまりよく知られておりません。日本では現在、約400名の患者が研究班の調査で、確認されています。

急速な老化の進行によって、加齢に伴う様々な症状~白内障、糖尿病、動脈硬化、壊疽、肘・踵部の難治性皮膚潰瘍、甲状腺癌、などが、次から次へと現れ、生活全般に亘って介護が必要な状態になります。中でも肘や踵部に生じる、難治性皮膚潰瘍の激痛は、苛烈をきわめ、鎮痛剤の投与や、交感神経ブロックなどによっても治まらず、患者の身体能力ADL、生活の質QOLを著しく損ないます。この痛みは、経験した者でなければ決してわかりません。そこから解放されるだけでも、どれだけ私達にとって、大きな救いとなることでしょうか。けれども多くの患者は、この激痛に昼夜を問わず悩まされつづけ、平均すると、およそ40代半ばから、50代半ばで死を迎えています。

ウェルナー症候群は、後発性の早老症であることから、患者の社会生活が整いつつある中で発症するケースがほとんどです。そのため、発症後間もない患者は、職場や友人、家族や親戚にさえ、病を隠して生活していることもあり、そのことで無理を重ねて、症状を悪化させてしまいがちです。症状の悪化を予防するために必要な知識が、患者の側に不足しています。またそれと同様に、希少疾患であることから、医療の現場でも、十分な情報が、確保されていないことも多く、医師の理解が得られなかったり、患者の訴えに対して、充分な回答が、与えられなかったりすることも少なくありません。ウェルナー症候群の患者にとって、治療を受ける上での、大きな問題となっています。残念ながら、ウェルナー症候群という疾患をよく知らない先生は、実際には、まだ多くいらっしゃいます。こうした実状は、患者にとって、とても不安なことです。

 患者がウェルナー症候群発症によって蒙る、最大の社会的問題は、失職による経済生活の破たんです。これについては医療費の補助や、所得保障、それらの前提となる、難病指定や、障害認定基準の社会モデル化などが、課題です。しかしそうした社会的な問題の一方で、先にも述べましたように、ウェルナー症候群が、希少疾患であることから、医師の側にも情報が不足しているため、地域で適切な治療方針に基づいた医療が、受けられなかったり、生活全般に介助が必要になった時に、疾患特性の理解の上に立った介護が受けられなかったりする、医療・介護の問題など、患者にとって大変深刻な問題もあり、早急に解決する必要があります。今回、私は、この機会をお借りして、これら医療と介護の問題を、ウェルナー症候群の中でも、患者の生活や人生にとって、最大の苦痛要因となっている、難治性の皮膚潰瘍、と言う症状を通してお伝えし、私たち患者が置かれている実状を少しでも皆さんに知ってほしいと思っています。

逃れることのできない強烈な激痛に、昼夜悩まされ続ける、この難治性潰瘍に、私も日夜苦しんでいます。内科での血液検査に診察。そして皮膚科での潰瘍部分の処置、痛みに耐えられないため、麻酔科も受診して麻薬の処方も受けています。主症状の一つである、踵部の潰瘍を塞ぐため、これまで、皮膚移植を何度も繰り返してまいりました。細胞が老化していることによって、移植した皮膚が剥がれ落ちてしまい、その度に、絆創膏を張り替えるように、移植を繰り返さなければなりません。麻薬を処方されるほどの激痛を伴います。こうした状況を抱えながら、多くの患者が日常生活を送る上で、介護サービスを必要とするようになります。しかし一般的な介護は、身辺自立や、廃用性症候群の予防を目的とした、残存機能の活用を促す考え方を基本的に持っていますので、立つことが出来ると言うだけで、リハビリの観点から自立歩行の機会を増やすような介護計画が、提示されて来ることが多いです。しかしウェルナー症候群の患者は、両足が揃っていて、立つことが出来ても、痛くて歩けない、歩いてはいけない状態なのです。現実に多くの患者さんが、こうした一般的な介護の考え方に従って、頑張ってしまった結果、そこから潰瘍が悪化、感染症を併発して、下肢の切断に追い込まれています。日常生活の中で、患者の身体能力をどのように援助してゆくのか、と言う、介護の現場にも、疾患についての正しい知識が必要です。


麻薬を処方されても治まることのない、潰瘍に伴う疼痛は、生きる気力まで奪い取ってゆくほど、過酷なものです。そこに身体能力を維持するための訓練や、努力が加わることで、潰瘍と疼痛をさらに増悪させ、かえって生活全般の質が、患者の内面から脅かされることになってしまうのです。このようにウェルナー症候群患者は、潰瘍発症によって、ADLQOLが互いに対立する、と言う、介護上の問題に直面することになります。そして、この介護上の問題は、症状がさらに進行してゆくと、最終的には、大きな治療上の決断を 患者に迫ることにも、なってゆきます。下肢の切断です。

余りの痛みに耐えかねて、自ら切断を選ぼうとする方もいます。しかし、そうした大きな決断について考え始めた時には、全身の老化によって、既に手術に耐えられる体では、なくなってしまっていることも多いのです。自分にまだ余裕がある時に、自らの足を切ろうなど、誰も思いは、しないからです。それでも手術に踏み切るとしたら、大変大きなリスクを伴うことは言うまでもありません。

 人間であれば、誰にとっても下肢の喪失は、大変大きな決断です。身も心もすり減らしてしまうような、強烈な疼痛に、昼夜苦しみ続ける患者にとって、その決断にいたるまでの間、医師やカウンセラーと、適切な情報に基づいて、治療方針を協議してゆけるような、医療体制の確保は、私達患者にとって、人生、命に直結する、重要な課題です。そのためにも日本各地の医療機関が、ウェルナー症候群の症例や、治療に関する豊富なデータを蓄積している、研究拠点病院との連携のもとに、治療に当たって頂きたいと思います。国内で、研究拠点となっているのは千葉大学です。各地の病院が、研究拠点とうまく連携して治療に当たっていただけるような医療体制があれば、私達患者は大変安心です。ところがこのような医療体制は、まだまだ構築されているとは言えない状況です。一般的にセカンドオピニオンという選択肢が用意されています。しかし一患者がこれを活用して、病院と言う組織と、うまく交渉してゆくのは、実際には難しいところが、多々あるのではないでしょうか。

 ウェルナー症候群の難治性潰瘍の治療は、医師の側にとっても簡単な治療でないことは、十分承知しています。しかしながら、現状、連携は進んでいません。2012年に千葉大学に拠点を置くウェルナー症候群全国研究班により、ウェルナー症候群診療ガイドラインが作成されました。しかしながら、そのガイドラインの事を私の主治医に伝えたのですが、聞き流されてしまって、治療に役立てていただくことが出来ませんでした。何故なのでしょうか。もっともっと患者の置かれている悲惨な現実を直視して欲しいと思います。どこの病院に行けば、適確な治療が受けられるのかわからない・・・。地方の患者は、そのような不安を常に抱えながら療養生活を送ってゆかなければなりません。なぜ、病院同士の間で、横のつながりが行われないのでしょう。どこの病院でも、同じように、適確な治療が受けられることを 私達患者の誰もが強く求めています。

 疼痛に対しては、痛みを緩和するトラムセット、痛みの信号を遮断するリリカを併用している人、またそれ以上に、麻薬であるデュロテップパッチMTを使用している人もおられますが、痛みを緩和することは、できていません。 痛みを緩和するためには、潰瘍部の傷口をふさぎ、削れてしまった肉芽を盛り上げなくてはなりません。そのために使用される、フィブラストスプレーという薬は、ウェルナー症候群である私たちに、副作用として、悪性腫瘍を発生させる恐れがあります。フィブラストスプレーは、2001年に発売されています。すでに13年がたっていますが、それに代わる有効な薬はいまだ開発されていません。私たち、患者は治療に有効な薬を待ち望んでいます。

 働いている時も入退院を繰り返し、就業先に迷惑をかけてしまいました。 完全に治ってからの退院というのは、どこの病院もありません。 皮膚移植しても潰瘍部分が、すべて閉じるということもほぼありません。 退院してからも通院生活は、ずっとつづきます。一時的ではありません。痛みは常にあります。近い将来、私も足を失うことになるかもしれません。 最初にお話ししましたが、私は一縷の望みがあればどんな治療にも臨んでゆきたいと言う気持ちでいます。

 医学の進歩はとても早いと思います。ただ、医学が進んで有効な治療法が見つかっても、倫理の壁に遮られて、臨床現場に活かされないことが多々あるように思います。病を背負う患者は誰もが、1分1秒でも早く、重い荷物取り除きたいと思っています倫理について議論される方々は、本当に患者の事を考えておられるのでしょうか?健康な身体をもつ人だけで、議論される事ではないと思います。病を持つ人を交えて、審議されるべきことだと考えます。そして、より良い最先端の技術にて、受けられる治療をうけさせてほしい。そのための治療研究の推進、治療薬の開発が、少しでも前進することを心から願うばかりです。そして個々の苦しみを少しずつでも取り除いてほしいです。


 2005年、私がアキレス腱の潰瘍で、入院していた頃のことだったと思います。私はネットで自分の症状を調べ、ウェルナー症候群ではないかという疑問を持ちました。 その当時、入院していたのは皮膚科でしたが、何度お願いしても、検査はしてもらえず、「ウェルナー症候群ではありません」と言われるだけでした。ただ、退院してからも疑問は消えず、2008年に入院した時にも、検査を再度お願いしましたが、全く取り合っていただけませんでした。それでも、私の確信は揺るがず、私は、自分の病気のことを誰にも話さないと誓いました。きっと、その事を知った周りの人たちは自分から離れていってしまうに違いない。私は孤独になることを恐れていました。しかし数年して、それも我慢できなくなり、覚悟の上である方に病のことを話しました。その時、その方は「私が治してあげる」「病気の進行を遅らせることはできる」と言ってくれました。この言葉は、いつ死んでもいい、早く死にたい、と考えていた私にとって、とても衝撃的なものでした。まさか、そんなことを言ってくれる人が居るとは思いもしなかったからです。涙が止まりませんでした。その一言で、私は救われました。早く死にたいという気持ちから、生きたいと思うようになりました。それからは、友人にも家族にも、病のことを話し、理解を求めました。父親は患者会の活動に関しては、家族内に難病患者がいることを、知り合いに知られたくないらしく、まだ理解してくれていない様子です。けれども、友人たちは、皆、理解してくれました。まことに、その人は私の命の恩人です。

 それ以降、私の考えは一変し、フォーラムでの発表やテレビ、新聞の取材にも、名前を公表し、これからの人生、ウェルナー症候群を できるだけ多くの人に知って頂くために生きてゆこう、という決心が生まれました。

 暫くして私は、千葉大学病院で確定診断を仰ぐことになります。そしてウェルナー症候群の診断が下りました。正直、落ちこまなかったといえば嘘になりますが、これによって、この病に「対処してゆこう」と言う気持ちをはっきりと持つことが出来ました。真綿で首を絞められるような苦しみを 抱き続けるよりも、事実が明らかになったことで、私は良かったと思っています。


 私の乗っている列車は、年を追うごとにスピードを上げています。そして病の進行は患者から、たくさんの物を次から次へと、奪い取ってゆきます。

「自分に与えられた命を精いっぱい生きてゆきたい」。

そう言っていた、私達ウェルナー症候群患者家族の会の、創設者である前代表の遠藤博之さんは、片目を失い、声を失い、両足を失い、片肺と甲状腺を癌に侵され、潰瘍の激痛にボロボロになりながら、最後には正常な血液すら、失ってしまいました。ウェルナー症候群は、きっと私からも、たくさんの物を奪い取ってゆくことになるのでしょう。でも、たとえそうなったとしても、私も精いっぱい生きたいです。

そこから見える景色が、皆さんの見ている景色の二倍のスピードで、めまぐるしく、流れ去ってゆくような、味気ないものだったとしても、皆さんと同じように、ずっと列車の窓を見ていたいです。何故ならそれ以外に私の人生などないからです。そこから目を背けてしまったら私の負けです。

 いつの日か、医学の力によって、この列車のスピードを少しでも落とすことが出来るようになると、信じています。その時、私はもういないかもしれません。けれどもウェルナー症候群は遺伝疾患です。今この時にも何パーセントかの確率で、苛酷な運命を背負った子供達が確実に生まれています。この子どもたちのためにも、治療研究、新薬の開発の段階で、今の世代を生きた一患者として、少しでも協力することが出来るなら、私は本望です。

 日本人に圧倒的に多いこの疾患の治療法を日本が世界に先駆けて、開発して欲しいです。どうか皆様の力を貸してください。(2014年11月17日 DIA総会講演より)

                            ウェルナー症候群患者家族の会
                                  代表 井上咲季

 


   


 

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